近代日本画の革新を目指し、独自の発展を遂げた日本美術院が大正3年(1914)に再興されてから100年になることを記念し、特別展「世紀の日本画」を開催いたします。
日本美術院の歴史は、近代日本画の歴史と言っても過言ではありません。 明治31年(1898)、岡倉天心の理念のもとに、東京谷中に創立された日本美術院は、大学院に相当するような研究機関を意識して「院」と名付けられました。
しかし、明治30年代後半には実験的な描法が朦朧体と批判を浴び、天心らは茨城県五浦に移転し、大正初期には事実上休止となります。 大正2年(1913)9月に没した天心の1周忌を期して、横山大観らによって院は再び興され、「再興」の歴史がスタートします。
以来今日まで「再興院展」として親しまれている展覧会は、戦中の2回を除き継続して開催され、先人の刻苦精励によつて築かれた伝統が今なを受け継がれています。 …主催者 |
展覧会のみどころ
1. 重要文化財が6点、出品されます。 2. 近代日本画をけん引した院展オールスターズによる、夢の競演です。 3. 全国約60ヵ所から近代日本画の名作が結集したまたとない機会です。 前後期で作品を総入替し、院展の全貌をご覧いただきます。 4. 現役同人の出品作は、日本美術院賞(大観賞)受賞作を紹介します。 |
展覧会会期: 2014 1/25(土)―2014 4/1(火) 展覧会は終了しました。 前期:2014 1/25~2/25 : 後期:2014 3/1~4/1 会場: 東京都美術館・企画展示室 (上野公園内) |
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日本美術院再興100年「世紀の日本画」 報道内覧会 '2014 |
日本美術院の巨匠たちの伝統と歩み
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「展示構成」 ―本展覧会 「世紀の日本画」 図録、PRESS RELEASE よりの抜粋文を掲載しています― |
本展は、日本美術院の伝統を作り上げてきた近代日本画の巨匠の代表作品に、日本美術院の今そして未来を作る現役同人の作品、また大正時代に加わり後に脱退した洋画、彫刻部門の作品を含めた120点を前期と後期に分けて展観いたします。 明治の草創期の作品、大正の再興期の作品よりはじまり、その後、歴史、花鳥、風景、幻想、人物の五つのテーマ別に再興院展の歩みを紹介します。 |
「本展の構成」 第1章 名作で辿る日本美術の歩み 第2章 院展再興の時代―大正期の名作 第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ 第4章 花。鳥。そして命を見つめて 第5章 風景の中で 第6章 幻想の世界 第7章 人のすがた |
'2014 1/24 「世紀の日本画展」企画展示室での報道内覧会の会場風景です。 |
第1章 名作で辿る日本美術の歩み 日本美術院は第1回の展覧会を開催してから、今年はちょうど百年目にあたる。 昭和33年(1958)財団法人となり、安田靫彦、奥村土牛、小倉遊亀、平山郁夫らが理事長を務めました。 名作で辿る日本美術院の歩みがそのまま近代日本画の歴史と重なる。 ・狩野芳崖(1827-1888) 重要文化財 《不動明王》 一幅 明治20年(1887) 紙本彩色 158.0 x 78.8 東京藝術大学所蔵 芳崖は寺院などで信仰の対象とするべき仏画を制作するのではなく、羅漢、仁王、そして不動が現実的空間のなかで躍動的に存在する新しい絵画のジャンルを開拓しようとしていた。 |
第2章 院展再興の時代―大正期の名作 創設者岡倉天心の1周忌を期して、横山大観、下村観山、木村武山、そして洋画家の小杉未醒らが中心に、再興院展は大正時代特有の自由を尊重する理想を高く掲げました。 そして日本画だけでなく洋画や彫刻部門をもつ総合美術団体として再出発したのです。 ・下村観山(1873-1930) 《白 狐》 大正3年(1914) 再興第1回院展 紙本彩色 各186.1 x 207.6 東京国立博物館所蔵 観山は、再興された第1回院展への出品にあたって、亡くなった菱田春草や岡倉天心ら前期院展を偲ばせるモチーフ 《白狐》 を選んだのである。 |
第3章 歴史をつなぐ、信仰を尊ぶ 院展は創設の当時から日本東洋の伝統に重んじ、歴史、宗教、思想、文学などを主題とした作品を研究してきました。 日本画が、たんなる絵画の技術ではなく、精神的な内容をもつ表現手段であるという強い思いが院展芸術を支える柱のひとつとなってきました。 ・平山郁夫(1930-2009) 左側 《祇園精舎》 昭和56年(1981) 再興第66回院展 紙本彩色 171.0 x 362.0 島根・足立美術館所蔵 金色の光線が差し込む中に、釈迦とその弟子たちが浮かび上がる。 美しいシルエットのような姿は幻想的な、雰囲気を醸し出している。 |
第4章 花。鳥。そして命を見つめて 院展の画家たちは、花鳥をはじめとする自然と、そこに暮らす生きものたちの姿を見つめてきました。 やまと絵などの伝統様式を感じさせる豪華絢爛な作品が生まれる一方で、徹底した観察に基づく写実的表現によって生命の神秘に迫る作品も描かれました。 ・須田珙中(1908-1964) 《篝 火》 昭和34年(1959) 再興第43回院展 紙本彩色 171.2 x 343.3 福島県立美術館所蔵 暗やみに激しく燃える篝火に、にわか雨が降り出し、火柱が明るさを増す、水面に白波と、たくさんの鵜が左右に泳ぎ回る。 |
第5章 風景の中で 風景画というジャンルは日本画に限らず、今日、もっともポピュラーなテーマのひとつです。 しかし、江戸時代以前には山水画はあっても風景画という概念はありませんでした。 山水画は画家の胸中にある自然を描くものであるのに対して、風景画は目の前に広がる景観を写します。 ・速水御舟(1894-1935) 左側 《洛北修学院村》 大正7年(1918) 再興第5回院展 絹本彩色 132.0 x 97.5 滋賀県立近代美術館所蔵 御舟自身が群青中毒にかかっていたと語る時期であり、群青や緑青の繊細な描写が新たな大正日本画の風景表現を示している。 |
第6章 幻想の世界 この章では、再興院展の歴史の中に登場したさまざまな意味での画家の心眼に映じた幻想的な絵画世界の紹介です。 現実には存在しないものや見えないものを可視化する表現も古来とは違う映像的な方法を試みるようになります。 ・郷倉和子(1914年東京に生れる) 右側 《真 昼》 昭和32年(1957) 再興第42回院展 紙本彩色 208.5 x 163.5 富山県立近代美術館所蔵 燃えるように咲き誇る真っ盛りの芥子の花、咲き終えてしまった芥子の花、その対比に人生を重ね合わせた作品。 |
第7章 人のすがた 再興院展の百年の流れのなかで、グローバリズムの近年、院展の画家たちが世界各国を訪れて、各地の風景、遺物、そして人々の姿を題材に作品を描く傾向はとくに顕著になって、実にさまざまな表現技法、様式、作家の個性が見られます。 ・小倉遊亀(1895-2000) 《舞 妓》 昭和44年(1969) 再興第54回院展 紙本彩色 158.0 x 133.0 京都国立近代美術館所蔵 さまざまな貝の模様がなんとも涼やかな夏衣裳の先斗町の舞妓を描きながら普遍的な人間の素晴らしさを描くことが念頭にあったようである。 |
日本美術院 |
日本美術院は、明治31年(1898)、岡倉天心の指導理念のもとに横山大観、下村観山、菱田春草ら26人によって、開院しました。 天心の理念は、日本文化の伝統を踏まえ、文化財を保護しかつ芸術を奨励して未来につなげる道を指し示すものでした。
大正2年(1913)に天心が逝去、一周忌を期して横山大観らによって再興され 「藝術の自由研究を主とす。 教師なし先輩あり、教習なし研究あり。」
と宣言しました。 以来、近代日本画の革新を目指し、創立の精神を軸に研鑽を重ね、独自の発展を遂げました。 在野の研究団体がその芸術活動を110余年にわたって継続した、世界的にも稀有な例といえます。
先人の刻苦精励によって築かれた伝統は、近代日本画の歩みと重なりながら、今に受け継がれています。 |
お問合せTel:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 公式サイト:http://www.nichibisai.jp 主催:東京都美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)、 日本美術院、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社 協賛:日本写真印刷、三井住友海上、三井物産 |
参考資料:「世紀の日本画」図録、 PRESS RELEASE 他。 |
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